光隆寺の歴史
- 1900年頃光隆寺の前身となる「鯰田堤田説教所」が建てられる
堤田(つつみだ)は当時の町名。現在では栗尾と呼ばれる地区にあたり、現住所では“飯塚市鯰田324−6”周辺に存在していた。
当時は未だ寺院ではなく、炤蓮寺(しょうれんじ)の説教所であった。
- 大正12年
1923年「鯰田堤田説教所」が蛭子町へ遷座する
同年、管理者であった先代の僧侶が亡くなり、後に光隆寺第1世住職となる釋 静心へ継職される蛭子(えびす)町は現住所の”飯塚市鯰田201−4”周辺の地区
- 昭和6年頃
1931年頃「鯰田堤田説教所」が現在の光隆寺納骨堂の場所へ遷座する正確な住所は“飯塚市鯰田字子バケ崎557-2”。現在の本堂がある場所は未だ田んぼであった。
- 昭和27年
1952年「光隆寺」の寺号を取得 - 昭和@年第1世住職である釋 静心が@歳で往生する
第2世住職として釋 輝明へ継職される - 昭和38年
1963年第一納骨堂が建てられる - 昭和41年
1966年第二納骨堂が建てられる - 昭和47年
1972年現在の位置に本堂・庫裡の移動、及び建設が始まる - 昭和49年
1974年現在の庫裡・本堂が完成する - 昭和57年
1982年本願寺御門主組御巡教で前御門主が光隆寺にお立ち寄りされる - 平成3年
1991年第2世住職である釋 輝明が退任する
第3世住職として釋 由孝へ継職する - 平成18年
2006年門徒会館を新築し、庫裡が改築される