光隆寺の歴史

光隆寺の歴史
  • 1900年頃
    光隆寺の前身となる「鯰田堤田説教所」が建てられる

    堤田(つつみだ)は当時の町名。現在では栗尾と呼ばれる地区にあたり、現住所では“飯塚市鯰田324−6”周辺に存在していた。

    大正9年(1920年)10月に撮影された鯰田堤田説教所

    当時は未だ寺院ではなく、炤蓮寺(しょうれんじ)の説教所であった。

  • 大正12年
    1923年
    「鯰田堤田説教所」が蛭子町へ遷座する
    同年、管理者であった先代の僧侶が亡くなり、後に光隆寺第1世住職となる釋 静心へ継職される

    蛭子(えびす)町は現住所の”飯塚市鯰田201−4”周辺の地区

  • 昭和6年頃
    1931年頃
    「鯰田堤田説教所」が現在の光隆寺納骨堂の場所へ遷座する

    正確な住所は“飯塚市鯰田字子バケ崎557-2”。現在の本堂がある場所は未だ田んぼであった。

    数年後、田んぼを埋め立てる様子
  • 昭和27年
    1952年
    「光隆寺」の寺号を取得
  • 昭和@年
    第1世住職である釋 静心が@歳で往生する
    第2世住職として釋 輝明へ継職される

  • 昭和38年
    1963年
    第一納骨堂が建てられる
  • 昭和41年
    1966年
    第二納骨堂が建てられる

    当時の第一納骨堂、第二納骨堂の様子
  • 昭和47年
    1972年
    現在の位置に本堂・庫裡の移動、及び建設が始まる
    田んぼを埋め立てた後→基礎を作る様子
    庫裡・本堂が建てられる様子
  • 昭和49年
    1974年
    現在の庫裡・本堂が完成する
    本堂完成直後の様子
    落慶法要の様子
  • 昭和57年
    1982年
    本願寺御門主組御巡教で前御門主が光隆寺にお立ち寄りされる
    前門様が本堂に入られる様子
    前門様がお参りされる様子
    前門様がお手植えされる様子
  • 平成3年
    1991年
    第2世住職である釋 輝明が退任する
    第3世住職として釋 由孝へ継職する
  • 平成18年
    2006年
    門徒会館を新築し、庫裡が改築される