皆さんは死後の世界を信じますか?私が宗教家である影響か、病院やお寺で出会う人と死後の世界について語り合うことは珍しくありません。
最近の世の中は科学が発展しており、目に見えるもの以外は信じにくい時代に突入しています。
以前、仏教系の高校に勤めていた時、生徒が「仏さまは本当にいるんですか?」「お浄土っていうけれどどこにあるんですか?」と尋ねられたことを思い出します。
にもかかわらず、目に見えることのない死後の世界というものを議論し続ける人が絶えないことも事実であり、非常に面白いことだなぁと感じます。
普段私が読ませていただく仏教の経典にも死後の世界が説かれてあります。漢字8文字を紹介します。
諸上善人 倶会一処 「仏説阿弥陀経」
この漢文を古文にすると、
かくのごとき諸上善人と倶に一処に会することを得ればなり
この古文を現代文にすると、
(お浄土という世界は)このような悟りを得たあの人やこの人と”また会える世界”である
前半の解説は難しくなるので省略します。
(ちなみに、もっと仏教の教えを深めたい方はこの前半も非常に大切なってくるので、どこかで学んでみてもらいたいです)
後半の「お浄土はまた会える世界」という部分に焦点を当てて考えます。
こりゃまた目に見えない話をしていますから、先ほどの高校生のように『死んだ後に会える世界があるなんて』という人がいるのでしょう。正直なところ、それを尋ねられても「お浄土がまた会える世界」であるかどうかはわかりません。なぜならば、行ったことが無いですし、皆さまと変わらない人間ですから。
ただその高校生にも自信を持って言えることが一つだけあります。それは、また会える世界としてお浄土を建立されたことがお経に説かれてあるということです。私たちが考えても死後の世界がどのような場所かはどうせわかりませんから、偉い人の話を疑いなく聞くのも選択肢の一つだと思います。また会える世界って素直に嬉しいですしね。
そして、ここでもう一つ重要なことは、“仏さまがお浄土をまた会える世界として用意したのは何故か?”という問いです。当然、適当に考えたとは考えにくいんです。
仏教で代表する苦しみが8つあって、そのうちの一つを紹介します。
愛別離苦(あいべつりく)
大切な人と別れ離れていかないといけない苦しみ
この苦しみがこの世の中で一番だ、というお坊さんもいた程です。死ぬことより苦しいの?と思いましたが、考えてみれば死ぬのが苦しいのではなく、この世の大切なものや人と別れることが一番辛いんですよ。病院で多数の看取りに立ち会っていますが、確かに別れは心へのダメージが大です。
話が脱線するところでした。笑
もとの問いに戻ります。
“何故仏さまがまた会える世界を作ったか?”
それは私たちが大切な人との別れに悩み苦しむことを仏さまが知ってくださっていたからです。人間が生きる上で別れは避けられません。ですが、私たちにはいのちを終えたあとにまた大切なあの人やこの人と再会できる世界があるわけです。
私もこの生き様を報告したい人がすでに沢山います。また会える世界のおかげで、いのち終えるその時をいい意味で楽しみに生きられます。
仏さまって先見の明のある優しいお方であることが伝われば満足です。笑
今日もようこそのお参りでした。
合掌
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