世界には色々な宗教があります。世界三代宗教とされる、仏教・キリスト教・イスラム教。教えは違えど、根幹は同じように思えます。
私は学者ではありませんので、理論的に一致しているものを語れと言われても、具体的に述べることはできませんから、「根幹が同じである」という証明はできません。
ですが、私の経験からそう感じるのです。私は臨床宗教師という立場(臨床宗教師とはなんぞやとお思いの方がおられるでしょうが、今は割愛します。いずれ、臨床宗教師の記事も書きますので、しばしお待ちください。笑)で、仏教以外の宗教者の仲間がいます。また、いろんな宗教を信仰している人にも出あって来ました。
その中で、色々な宗教あれど、根っこは同じと感じています。共通点がたくさんありますが、その一つが
人間同士だけでは持ち得ない、“縦の関係“が存在する
ということです。ここでいう縦というのは、上下関係などではありません。仏と私(人間)、神と私(人間)といったような関係のことです。
この関係性が成り立つことで、私のいのちのあり方が、かけがえのない存在だと気付かされます。今回はなんか哲学っぽくなってきましたね。笑
実はこの考え方、ものすごく大事なんです。人間同士で生活していても、この考え方は出て来ません。というより、私たちはこういう考え方苦手なんだと思います。
私たちは、いのちの価値を考える時、どのようにしますか。隣の誰か、周りの誰かと比べませんか。
誰かより、優れている・劣っている
誰かより、お金持ち・お金がない
誰かより、仕事ができる・仕事が苦手
そういう思考を繰り返しながら、日々を送っているのがこの私なんです。私のいのち、他の人のいのち、人だけではなくペットやものまで…
比較するのが得意。というより、比較することでしか物事をはかれないような思考になっているんです。
うまくいっているときはいいですが、人生、ずっといいことばかりではないと思います。
その考え方だけで生活するのはとても息苦しい。だからこそ、人間の歴史には宗教が必ずついてきたんだと思います。
仏や神との縦の関係があることで、比較という世界から離れることができます。
本来、私たちは一人一人にかけがえのない歩みがあり、他の誰にも代えられないいのちであることに気付かされます。
誰かと比較して生きるという、横でいのちを見ていくのではなく、それぞれのいのちを縦で見ていけるように、長い年月をかけて神仏が教えてくださっているのかもしれません。
今回は少し難しい話になってしまいました。すいません。
最後までご覧いただいた方、感謝いたします。
ようこそのお参りでございました。
合掌
コメント
比べないことを頭ではわかったいるつもりでも…ちゃんと、落ちていなくて。
犬の成長を見守ることができず比較してイラつき、落ち込み…
特に自分に余裕がないとよけいにそうなる…
久しぶりに仏壇のまえに座り、少しの時間そこに在るだけでなぜか心が軽くなれた朝でした。