いただく

ゲンの言ノ葉

「多くのいのちとみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」

私たちが僧侶になるときの勉強中(他宗で言う修行中)、食事をする前に皆でこの言葉を唱和することを教わります。

正直、初めは面倒だなと思うこともありました。今は、この言葉が本当に有難いと感じます。

人間のいわゆる煩悩ですが、空腹というのは時には人をだめにします。私もその例外から漏れず、空腹時にはイライラしてしまうこともありますし、その時には「早く食べたい」と言う気持ちが先行してしまうものです。

しかし、考えてみると本当にそれは無茶苦茶なことなんですよね。笑
そもそも論でいくと、“食べることができる”ことが当たり前になっていることから考えないといけません。

食べることをそんな考えなくても…

そう思っていたこともありますが、意外にも大切なことは身の回りにあるものですよね。

私たちが食するものの中、全てのものはどれひとつとして、“人間に食べられるために生まれたいのちはない”ことをつい忘れてしまいます。

そして、そのいのちを食することのできるよう丁寧に心を込めて調理してくださる人も時には忘れてしまいます。

それを輸送する人もいれば、そのいのち一つ一つを愛でてくださる方もおられます。

そのように、食するためには色々ないのちや想いが詰まっていることを、僧侶になるための学びでも初期段階で教わります。

仏教の言葉で「思食(しじき)」という言葉があることを教えていただいたことがあります。

食するということは、そこに込められた思いを食するということ。それが本来私たちが大切にすべき精神かもしれません。

つい忘れてしまいがちですが、とても大切なことだと思うのです。

先日、結婚式に参加させていただきましたが、いただきますという言葉も無ければ手を合わせるということも忘れ去られていました。

私もつい友人との話に花を咲かせ、遅れての合掌になりました。。。

仏教は何か特別なことを説く教えではありません。当たり前のところに目を向けてくれ、そこから何が大切なのかを教えてくれる。そういう教えです。

先人の方は本当に有難い言葉を残してくれたと思います。

いのちを「いただく」

「いただきます」

24時間365日、ずっと考えている訳ではありませんが、ふとした時に「いのち」に想いを寄せることはできるかもしれません。

これからの若い世代に私が伝えていきたい、ベスト3に入ることを今回は書かせていただきました。笑

今日もようこそのお参りでした。

合掌

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