仏さまのお心

ゲンの言ノ葉

「よく頑張ってきましたね。これから一緒に頑張りましょうね」

 こう私に言ってくれたのは、去年出会った皮膚科の先生。私は小さい頃からアトピー性皮膚炎というアレルギー持ちで、今も治療中です。

痒みが主な症状で、そこから皮膚の変色や脱毛を及ぼし、時には見た目が変わります。その辛さを言い出しにくいことや、完治する治療もないため、精神的な負担も伴ってきます。私も色んな思いの変化を経験してきました。

 友達と外で遊ぶのが好きで、人前で弱いところ見せるのは嫌いだった小学校生活。「なんか痒いな」と中々治らないことに「んっ?」と思う時がありました。

掻きすぎで眉毛が薄くなり、中にはからかう友達が出てきたのです。性格上、笑ってごまかし過ごすことがほとんど。ふとした時に「他の人と違うんだな」と鏡を見て落ち込んでいたのを覚えています。

痒みがあまりにも治まらないので病院で治療を。完治とはいきませんでしたが、眉毛はしっかり元通りに。その時から鏡で自分の顔を見るのが嫌になりました。

 中学・高校と進学し、社会人となり、その時にはアレルギーとの付き合いも10年を越え。症状の予測や周りとの容姿の違いもわかり始めました。

相変わらず、私自身は容姿を気にしていましたが、周囲の人は何も聞かず普通に接してくれました。容姿をばかにされることもなくなり、鏡を見たくないというトラウマは、消えつつありました。

 数年前、白球を追い続けた仲間と鹿児島に行った時のことでした。

海を近くに感じながらの温泉、旧友との話が盛り上がります。

「ゲン(:私の名前)、そう言えば、野球まだやっちょっちゃね!その日焼けを見たらわかるばい!」

小学生の頃の嫌な記憶が蘇ります。私は「いやもうしてないんよ。昔からアレルギーやき、肌の色が少し黒いのは仕方ないんばい」と言えず、「そうばい!」とだけ返しました。

その時、ふと感じました。〈結局は、今まで身体の微妙な違いを気にしては忘れの連続で、それが辛いと誰かに伝えたことはなかったな〉と。

大人になって色んな知恵は身についても、分かってもらえない淋しさは残り続ける。そうして、心を閉ざすようになる。気づけば、小さい頃よりも複雑な問題になっていました。

 私が初めてその辛さを打ち明けられたのは去年のこと。仕事終わりに行ける病院をインターネットで検索し予約。初めて行く病院は緊張するものです。

病院に着き、受付を済ませ、待合室で待っていると「原さん、どうぞ」と呼ばれます。アレルギーとの付き合いも20年超え。受け答えは手慣れたもので、「こことここが痒いので、薬をお願いします」と言おうとしたその時、先生は私の肌を見て口を開きました。

「辛かったね。今までよく頑張ってきました。任せてください。しっかりコントロールしていきますからね。これから一緒に頑張りましょうね」と。その言葉が私の心に入り込み、今まで閉じ込めていたものが溢れ出します。

その時に確信しました。今まで表面上の問題は解決に向かっていたものの、心の奥底の問題はより根深いものになっていたことを。そして、その辛さに寄り添ってくれる人に温もりを感じましたことを。

 仏教で学ばせていただくのは、仏さまのお心です。知識を積み重ねていくのではなく、ただただ仏さまの温かいお心に日々の中で触れさせていただきます。

日常で仏さまのお心を触れていたからこそ、時として色んな人の言葉が心の奥底に入り込んでくれる。最近、そう感じることが多いのです。

仏さまのお心を親鸞聖人というお坊さんが、漢字7文字で表現しておられます。(難しいと思われる方は、すっ飛ばしてください。笑)

「大悲無倦常照我(大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたもふ)」
『正信偈』より(:浄土真宗でよく読ませていただく親鸞聖人の言葉集です)

 仏さまは「辛いね。頑張ってきたね。大丈夫だよ。どんな苦悩も一緒だから」と大きな慈悲のお心で私たちを包み込んでくれています。

私たちの人生が「不如意(:思い通りにならない)」と知らせてくれ、「一人ではないよ」と寄り添う仏さま。苦悩するのは皆同じ。

「誰にも話せない辛さ、誰にもわかってもらえないもどかしさを聞かせておくれ」と呼びかけてくれます。お仏壇の前、トイレ、車の中、お風呂…自分と会話しながら、仏さまにも聞いていただく。

苦悩が苦悩のままでもいいんだ、と思える時間をいただけます。そして、私だけではなく、皆を一人一人包んでくださるのが仏さまです。

思い通りにならないこの娑婆を、悩みながら、立ち止まりながら、仏さまと一緒に歩めたらと感じる日々であります。

本日もようこそのお参りでございました。

合掌

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