皆さん、「もしバナゲーム」をご存知ですか。先日見たテレビで、もしバナゲームを初めて知りました。
このようなカードを用いたゲームで、人生において、大切にしているものを手元に残しておくというシンプルなルールのみ。
どのように引いていくかなどの詳細は詳しい人にお任せします。笑
参加者と意見を交換しながら進めて行ったり、ゲームの終わりにはなぜそのカードを残したのかの理由を話したりと、皆で価値観を共有していきます。
ある参加者の一人が、印象的なカードを残していました。この「祈る」のカードです。
ゲームの内容にそって解釈すれば、
「人生の最期の時まで、祈るということを大切にしたい」
ということになります。
その後に理由を皆に説明してくれました。
「目に見えるものは、わかりやすいけど、いつかは崩れていく。目に見えないものはそうではなく、最後の最期には「祈る」みたいな、目に見えないものに任せていくことをしたいから、このカードを残しました」
信仰している宗教などは特に聞きませんでしたが、人生のあゆみの中で出した結論だと感じました。言葉に込められた力強さが忘れられません。
私は傍でその想いを聞かせていただきながら、ある方の言葉を思い出していました。
「目に見えるものは移ろいやすけれど、目に見えないものは永遠に変わりません」
ヘレンケラー
この言葉を聞くと、小さい頃から「目に見えるものが全て」と偉そうに言っていたことを思い出し、いつも恥ずかしくなります。笑
それはそうと、ヘレンケラーの言葉、本当に身に染みます。人生は、目に見えるものだけで換算すると、得た分だけ失うので、辛いと思うことが残っていってしまいます。
ですが、目に見えないものに目を向けていくと、そこにはたくさん残っていくものがあるように思えます。
人からいただいた言葉…
人から託された想い…
今日の今日まで、皆の言葉や想いが紡がれ、今の時がある。長い長い歴史をかけて、大切なものを受け継ぎながらの今。
そう考えると、世界中の皆が「運命共同体」で「もとは一つのいのち」と感じることがあります。
おっと、またまた話が難しくなってきました。笑
すいません。
目に見えないものも大切にさせていただきたいと改めて感じることができる一日でした。
本日もようこそのお参りです。
合掌
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