条件を課さない言葉

ゲンの言ノ葉

「おかえりなさい」

小さい頃に当たり前にかけてもらっていた言葉。大人になって、この言葉の有り難さに気付かされます。

先月まで、関西にいたので、数年ぶりの福岡での生活になります。先日、寺族野球という、お寺生まれの人だけで一つのチームを作っている行事に参加しました。

久しぶりにお会いする方々ばかりです。緊張気味での球場入りとなりました。

(ずっと参加できてなかったけん、輪に入れるやろうか…)

元々顔見知りでも、久々の再会は何とも言えないものがあります。皆さんも経験ありませんか。笑

そんな時にかけていただき嬉しかった言葉です。

「ようこそ」

「そして、おかえりなさい」

グラウンドに入ると、先にベンチ入りしておられた先輩方に温かく迎え入れていただきました。

「おかえり」の言葉が魔法のように感じました。あまり意識することはなかったですが、本当に身に染みます。

私がどんなに緊張していても、どんな思いになっていようとも、どれだけ久しぶりでも、初めての参加でも…挙げればたくさんありますが、私がどんな状況であろうが、「おかえり」という言葉の前には全てが吹き飛ばされます。

子供の頃を思い出すと、喧嘩して帰ってきても、先生に怒られて帰ってきても、ドロドロになるまで遊んで帰ってきても、関係なくかけてもらえる「おかえりなさい」。

私がどうであるか、そこに条件は課されません。あえて挙げるとするならば、そこに帰ることだけです。

この無条件が許される環境は、こころ落ち着くものです。私たちが生きているこの世界は、いろんなところで条件が課されますから。

いいことをした時だけ、成果があった時だけ、役に立った時だけ…

そんな時だけに、かけてもらえる言葉はたくさんありますが、それだけではとてもじゃないけど生きにくい。

そうではなく、

「どんなあなたでもいいんですよ」

「ここにいることで十分なんですよ」

という想いが実は詰まっている「おかえりなさい」。改めて、大切にしたいと気付かされました。

スケールが大きい話になりますが、仏さまのおこころを「おかえり」という言葉で喩えられることもしばしば。

たとえ私たちの人生がどのような歩みであったとしても、どのように終えていったとしても

「おかえり、本当にお疲れさま」

と迎えてくださるのが仏さまのおこころ。その時がいつになるかはわかりませんが、それまでは私がいろんな方々に「おかえり」と言葉かけしたいものであります。

いつも最後に話が逸れてすいません。笑

本日もようこそのお参りでございました。

合掌

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